非対称性

私たちは、メディアとは、対話できない。
どのように報道されようと、それは違うとか、それを補うためにこうしてくれなどというコミュニケーションの回路は閉ざされている。それどころか、おそらく「ああいう風に扱ってくれてすごくよかったよ」という肯定的な評価さえ、(私たちが何らかの利害関係者である限り)本来伝えるべきではないのだろう。それは、「メディアの自律性、不偏不党性」ということで擁護される。


しかし、あらゆる社会的相互作用に置いて、そのような非対称な関係って他にあるだろうか?普通の商取引なら、高ければ買わない。根切る。条件を出し入れして妥協点を探る。商品の品質に信頼が持てなかったら説明を依頼する。故障すればアフターサービスだ。メディアに限って、どうしてそういうことがないんだろう。


「不偏不党であるべきだから?」


だったら100歩譲って、それが本当に「不偏不党」なのか、そもそも「不偏不党」って何なのかについて、視聴者と意見交換する回路がどうして開かれていないんだろう?(※あー、でもこれ、結局「マス」メディアだからなのか。個人向けにカスタマイズされた(モジュールの組み合わせとかじゃなくて本当に一対一の)報道サービスとかあれば面白いかも。視聴料めちゃめちゃ高いだろうけど。)


でもこんなこと言ったところで一般視聴者にはメリットは無く、同じロジックを政治家が使ってメディアを縛り付けるだけなんだよね。


何が正義で何が悪かわからないのに、相変わらずの二分法で報道が行われる。そういうわかりやすさを望む視聴者。スポンサーや公権力に対する自律性は保てない。なぜなら放送免許と広告収入で縛られているから。


書いていて退屈だ。あまりに。言い尽くされている。
対策。

  1. 官公庁や政治家や企業はみんな自社メディアを持とう。
    • で、自社の宣伝を思いっきりすれば良い。もちろん音楽番組風、バラエティー風、とかもまぜて。ただし、視聴者も馬鹿じゃないから、どの程度企業が自らにクリティカルな視線を向けて情報を提供しているかどうかをチェックするだろう。そうすると企業側もそうそうバカなことはできない。自社メディアであるからこそ言い訳が効かず、むしろ今までより良質の番組がつくれたりして。
    • 企業広報のドラマなんかつまらないって?だって、今のドラマなんてすでに、日本の産業社会が作り上げた社会経済建築文化環境の中で、様々な商業サービスを通じて吹き込まれた価値観によって形成されたキャラクターたちがどんなふうに相互作用するかということの起承転結を、最先端のマーケティングに基づくキャスティングとシナリオ構成とメディアミックスで見せているだけなんだから、(ちょっと違うかもしれないけどほぼ)同じことなんじゃないですか?中途半端なタイアップとかするぐらいならそのほうが潔いよ。こっちも、かえっていいドラマが作られる可能性だってあると思うよ。いいドラマができちゃったら「これが我が社のCSRです。」って言っちゃえばいいんだし。
    • ただし一つだけ条件があって、他のマスメディア、個人メディアにおける二次利用を無条件で許可すること。つまり、企業の自社メディアの作った映像素材を無料で利用して、他のメディアは評論活動ができるわけだ。
  2. 既存メディアは低予算で独自の報道を
    • 企業が自社メディアをもつととうぜん既存メディアには広告料はあつまらない。そこで、視聴者課金制度を使って低予算だが切り口の鋭い番組を作る。派手なCGとかロケとかタレントとかセットとかいらない(っていうかそんなお金はもともと無いので)。そういう番組を見たい視聴者が、視聴契約をすれば良い。
    • それだけでは食えない社員は、バイトで上記の企業自社メディアの番組も作れば良い。お金の出所が違うわけだから、きっちり目的を切り分けて。
  3. 最後に、個人メディア
    • これは、よくわからないです。なんか、雑多な情報提供を雑多なフォーマットでやっていくのもいいけど、やっぱりある程度のプラットフォームと評価システムが無いと難しいかな。個人の良さが発揮できるようなサポートツールをもっと作らなくちゃ、面白くなりきれない気がする。きっと日本人はもっともっと面白いよ(もちろん日本人以外もだけど)。
    • そういう共通プラットフォームの中で、エキスパートたちが、まず「こういう問題の切り取り方もある」「こういう取材の仕方もある」「こういう編集、演出のしかたもある」みたいなとんがったモデルを率先して示してくれると大いに刺激になると思うのだが。それこそ、舞台裏込みの、メディアリテラシー教育の教材になりそうなのとか。
    • あ、もちろん、プラットフォームも評価システムもサポートツールもモデルも、どんどん変わっていくことが前提ですが。