ゲームのルールを変える

http://d.hatena.ne.jp/learningtoplay/20070706/1183729742

(1)武器を身につけて強くなる。

(2)自分より弱い奴と戦う。

(3)負け続ける。

(4)ゲームから降りる。

(5)別のゲームに参加する。

(6)ゲームのルールを変える。

結局私の目的は「ゲームのルールを変える」ことにあるのだろう。決して同じルールの下で永遠に競争を繰り返したいということではない。しかし、「武器」という比喩が図らずも暗示しているように、そこに至るまでの「経路」が適切なのかどうかはわからない。

たぶんこの「武器」という比喩はちょっと不適切で、ゼロサムゲームではなく、プレーすることで社会全体の生産性とか幸福度(これらの言葉の怪しさを意識しないわけではないが)が増していくような方向のゲームというのもありうるのだ。(ゲームのルールを変えるとは、正にそういう方向にルールをもっていくということなのだが。)

そしてそのためには、個々のプレーヤーがある種の「知恵」を身につける必要があって、fuku33さんが経営学を研究し、学生に教えている意味もそこにあるのだろう。確かに、経済学/経営学リテラシーというのはもっと人々に教えられるべきだろう。それによって、不本意な選択肢に追いやられる人を少しでも減らせるのではないか。ありえない種類の「別のゲーム」に惑わされてしまう人を減らせるのではないか、と思う。

経済学/経営学に限らないが、このようなリテラシーを、個人の競争のための武器として「だけ」ではなく、社会全体の生産性や幸福度の向上(必ずしも結果の平等を保証しないとしても)を導く知恵として位置づけられるかどうかが、これらをどう評価するかの分岐点になるだろう。

話は飛ぶが、このことは我々がそれぞれどのような種類と深さの「絶望」を抱えているかということと強く関わっているような気がする。そしてその関係は、一見してわかりづらい。ゲームに絶望する必要も無い者が絶望を演じ、他者に影響を与えてリテラシー獲得の機会を奪うこともあれば、ゲームへの絶望の深さ故に徹底してリテラシーを説き、ゲームのルールの変革を目指すこともあるだろう。