商品と体験価値と逆問題

以前も書いたが、広告はもはや商品だと思う。
もうすこし注意深く言えば、商品の一構成要素であると。
広告を知覚してしまった時点ですでに消費者はその広告コンテンツの影響を受けはじめている、つまり、広告コンテンツの消費行動をはじめてしまっているわけだ。時間と、脳活動というコストを支払って。
これを敷衍すれば、マーケティングミックスと言われているものは全て商品だ。「価格」だってそれがブランドイメージの構成要素なわけで、私たちはいわば「価格」を買っているわけである。現にある宝石店(?)の店頭商品価格を全て二倍にしたらかえってよく売れた、というようなエピソードがあるくらいなわけだから。
そうすると結局なんだかんだすべてが消費者の体験価値に統合される、ということになって、心理学と社会学の問題になる。
しかし、現代の心理学と社会学の水準で同定しうる「体験価値」はごく限られていて、意識化、言語化しやすい陳腐なものしか拾い上げられない可能性が高い。
その上それらの体験価値を実現する仕様を持った商品、ましてやマーケティングミックスなどもすべて含めたここで言う広義の「商品」を開発するという「逆問題」を解くのは殆ど不可能な程難しいので、結局適当なヒューリスティックスに相変わらず頼らざるを得ないのが現状なのだろう。
しかし本当に優れた人間は、きっと誰も意識化、言語化できない「体験価値」を拾い上げ、驚くようなアイディアでこの「逆問題」を解くのだ。
いや、人々が驚くのはたぶん、商品が売れはじめた後になってからだろう。アイディアの段階では、それが実現する「体験価値」にまだ気づきさえしないかもしれない。


言ってしまえば、簡単なことなんだけどな。
「この人を幸せにするにはどうしたらいいか」
「自分はどんなときに幸せを感じるか」
ってことだよつきつめれば。
だけど、実際それが一番難しいか。