がんばること


がんばっても報われない→原因は社会の不正義に、あるいは世界のそのものの不条理にある

がんばれば報われる→がんばらなければ報われない→原因は個人にある

報われるためにはがんばらなければならない→「がんばること」への動機付け→がんばることの商品化・常態化

報われるためには特定の方法でがんばらなければならない→「がんばるべきこと」の限定→「がんばらせ方」の操作

様々ながんばり方に応じて、様々な報われ方が用意されている→「がんばらせ方」の多様化と、報酬の多様化


「がんばれば報われる」という因果関係のイメージは未だに強力だ。実際にはそうでないことが大いにあり得るとわかっていても、そうであって欲しいと強く願うのだ。私たちはむしろ、「がんばらせて」欲しいのだ。
だから「がんばれない自分」に苦しむ。
「がんばれるようになる」ための学習機会も乏しい。
もしもがんばらせてくれるなら、「がんばること」という商品を喜んで毎日売り続けるというのに。


私たちは、奪われさえしない自分に絶望する。
しかしそれははしたないことだとわかっているから、口をつぐんでいる。