ドキュメンタリー、撮りたくなった
この人の作品は、A2をビデオで見た他、「職業欄はエスパー」を当時のBOX東中野で、「よだかの星」を紀伊国屋のトークライブの時に見ている。
原一男は、「ゆきゆきて、神軍」と「全身小説家」を見た。前者はユーロスペースで、後者はアップリンクだったかなあ。「全身小説家」はすごかったね。
ムーアは、「財布交換プロジェクト」とかは面白かったよ。なんていうか、ユーモアで権力を腰砕けにする戦略的ゆとりがあった。
ノンフィクションは好きだけど、見るのは時々かな。森達也にとっては煩悶させるのが目的かもしれないし、それはその通りだと思うんだけど、こっちはすでに毎日山ほどの煩悶を抱えていて、それに加えて受け入れられるキャパシティーには限りがあるんだよね。
(そういう意味では、受け手の個別の煩悶を統合するような上位の煩悶を提供してあげて、これで少なくともより煩悶の的が絞れたでしょ?っていうやり方はあるかもしれない。)
でもまあ、そんな受け手の事情は無視して、自分も作ってみたくなる本ではあった。
なんだろうな。カメラってやっぱり、被写体を演技させるよね。撮る側ももちろん、人格変わるよね。一体撮影行為って何だろう?人間の行動に「ある意図」の元にあからさまに「注目」し「意味を付与して」「その意図にかなうように編集し」「記録として残し」「公開する」という一連の行為が撮影行為の特徴だとするなら、日常生活でそれに類するようなことが断片的にはおこってるんじゃないかな?そっちのほうがむしろ興味深いかもしれない。
撮影行為によって自分の変容を体験するも面白いけど、身近な他者がどんなふうに変容するのか、実験してみたいね。
- 作者: 森達也
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2005/03/01
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