宮台真司(1)


初めて宮台真司を見たのは、オウム事件のころの朝まで生テレビだった。
衝撃だった。
今までの評論家や研究者、ジャーナリストとは、発言内容もそのスタイルも全く違っていた。
(1)「個人的体験」や「社会に対する一般的印象」ではなく「統計的事実」に基づいた発言をしている*1
(2)一方で事実だけにとどまらない理論的枠組みを提示している。
(3)ものすごい早口なのだが極めて理路整然としていてわかりやすい。


早速彼の本を買って読んでみた。『終わりなき日常を生きろ』だった。
今まで全く知らなかったフレームで、状況が次々に分析され、それに対する処方箋さえもが提示される展開が、実に刺激的だった。
そして何よりも印象深かったのは、この人が、「言葉」というものを完全に道具としてコントロールしているということだ。読み手が自分の言葉によってどのような思考を抱くかを高精度でシミュレートし、そこから逆算して、最適な言葉をデザインしているのだ。


大抵の本を読んでいると、「どうして個人的な体験だけからそんなことが言えるのか?」「他の可能性は検討したのか?」「それは確率的な問題なのではないか?」「それは筆者の価値観がそうだからにすぎないのはないか?」「因果関係と相関関係を混同しているのではないか?」「べき論はいいけど、どうやって実現するのか?」というような疑問がわらわらと湧いて来ていたのだが、宮台真司の文章に関しては、そういった疑問に対する答えが、こちらの思考を先読みするかのように、ことごとく用意されていた。もちろん、常にとは言えないが、ほぼ一人の書き手が、有限のリソースの中でなしうる限り。


単に「頭のいい」人間は、世の中にあまたいるだろう。
しかし、ここまで自分の言葉を、それが相手に与える影響との関連でコントロールできる人間に今まで出会ったことは無かった。


それ以来、彼の本や、彼の書いた記事を手当り次第に読み、彼の出演するテレビを見つづけ、彼に関心を抱く人たちが開設した(当時は数少ない)ウェブページを常にチェックするようになった。そういった、当時宮台真司に関心を抱いていた人たちにもまた、浅からぬ共感を抱きながら、同じ時代を生きていたように思う。


http://d.hatena.ne.jp/miyadialogues/

*1:「データに基づいている」という発言が逆に他の出席者たちから「データなんてあてにならない」と怪しまれていた、というゲンナリするような場面が記憶に残っている。