そうだな、気持ちはよくわかるよ。
確かに一人でいるのはいいよね。
不幸っていうけど、幸せそうだよ。
たしかに病気は辛いけどさ。
でもなんていうか、人間の根っこの部分で幸せなんだと思うよ君は。
なんてことを言われても気分よくないだろうから言わないけど。


自分のアイデンティティーって、やっぱり性に規定される部分が大きいのかな。
君がバイセクシャルだったことと、僕と出会ったこととは、
何か関係があるのかな。
でも待ち合わせの時君が持っていた雑誌はちょっと幻滅だったんだ。今だから言うけど。
一人の時間って大事だね。
一人で生きてるって気持ちを時々思い出すことは大事だよ。
そんなこと、フィクションなんだけどさ。


そういえば僕は「○○じゃないみたい」って言われることが多いよ。
ネットでやり取りしてて「男の人じゃないみたい」「女の人かと思ってた」
高校時代「全く悩みがない人のように思えた」
大学時代「○○大学の人じゃないみたい」
「2浪ぐらいしてるのかと思った」
社会人になってから「日本人じゃないみたい」
「○○みたいなところに勤めてる人じゃないみたい」
「そんな歳には見えない」
いい意味か悪い意味かって言うとまあニュートラルなんだろうけど、
なんだか興味深いよね。


世の中にそれだけステレオタイプが蔓延してるってことの裏返しなのかもしれないし。
ネットではいまだに「男って」「女って」っていうような言葉が溢れ返ってる。
誰かとコミュニケーションをとるときは、むしろお互いの、
そういうステレオタイプからのずれをきっかけにしてるような気がするね。
でもそれもあんまり安易にやりすぎると、
「ずれの原因」に関するステレオタイプを適用してるにすぎなくなっちゃうからね。
かといって「あるがままの」相手を見てるなんていうのも「ほんとかよ」って感じだけどね。


って何の話だっけ。
そうそう、その作家と一度だけ話したことがあるんだ。
すごく面白かったよ。
作品はあんまり面白いとは思わなかったけど、何かひっかかりを感じてた。
他には無い感性を持っている人であることには間違いなかった。
色々質問して、答えてもらったんだけど、
残念ながら次に予定があったんで唐突に中座したんだ。
そのときなんかすごく意外そうな顔をされたな。
失礼な奴と思ったのかな?でもなんか違うような。
あの時の意外そうな顔が今でも記憶に残ってる。
だってものすごく意外そうな顔だったから。


つまりどういうことかというと、
人も組織も、放っておくと確実に腐っていくということ。
そんなことはわかりきったことなんだけど、
こっちはそこまで気を回してる余裕が無いんだよね。
自分のことで精一杯だから。
色々なものの助けを借りてようやく社会的にまともな人のフリをしているだけだから。
でもそれがすごくもったいなくて悔しいんだよね。
可能性のあるものがきえていくっていうのは悲しいよ。
可能性なんてほとんどどこにも無いのに。
それが少しでもある場所から、それが消えていくのには耐えられない。
本当は自分のことなんてどうでもいいんだ。
その哀しみに比べたら。


ああ、そうそう。君はやさしいよね。
あんな99%不審者にまで同情するなんて。
そうだよね。話してみないとわからないよね。
人はどんな目的を持って、どんな悩みを持って、何が原因で今の自分になっているのか、
ちょっと見ただけじゃわからないもんね。
だけど話したってわからないんじゃないかな。
ああでもそれも不正確な言い方だね。
確かに話すことでわかりあえたこともあったよ。
もちろん「わかりあえたなんて幻想だろう」
「わかりあえたなんて言葉を使うこと自体鈍感さの現れ」
なんていう何にでも当てはめられる批判はおいといて。
いや、たしかにそういうことはあったんだよ。
「わかりあう」という言葉の解像度の低さは承知の上で言うんだけど。
それさえも忘れていたんだよあまりに昔のことで。
だけどさ、そういうことはきちんと思い出さないとダメだよね。
今の自分の「世界認識のパターン」に当てはまらない事例だからといって
無かったことにしたらダメだよね。
そんなことを考えるきっかけになったよ。ありがとう。


正直、驚いたんだよ。今時これほど一途に一人の人を思い続ける人がいるんだなあって。
自分の全人生を相手を理解し、支え、幸福にするために費やしてるって感じだよね。
かといって自分のパートナーがそうであってほしいなんて全く思わないんだけどね。
自分もそこまではしないだろうし。たぶん。わからないけど。
たださ、あんまり個人情報はもらさない方がいいよ。
特殊な仕事なんだからさ、気をつけた方がいい。
って僕が聞かなきゃいいんだろうけど、勝手にどんどん話してくれるもんだからつい。


そういえばいつも「聞き役」なんだけどさ。聞き役って何なんだろうね。
よく「自分は聞き役に回ることが多い」って人はいるけど、
そのやり方は人それぞれだろうね。
あんまり人からちゃんと話を聞いてもらった記憶がないんだけど、
それは不幸なことなのかな。
話し方がわるいのかな。人間関係がダメなのかな。
それとも聞くに値する話を持っていないのかな。
なんて考えていると落ち込むから、自分のことを考えないで済むためには
人の話を聞いているのがいちばんいいんだよ。
ってレイモンド・カーヴァーも書いてたよ。
なんか、話聞いて適当に答えてると「なんでそんなことわかるの?すごい?」とか、
「まるで魔法にかかったみたいに、今まで誰にも話したことの無いことを言っちゃった。」
って言われることがあるんだよね。
でも特別なことは何もしてないんだよ。
ただ相手の喋ったことを編集して、そのまま返してあげてるだけなんだよね。
情報は相手の中にしかないわけだから、
すでに相手の中にある情報をそのまま返してあげてるだけなのに。
それでも何か新鮮に思うみたいだね。
何なんだろうねこれは。


でもさ、どっちかっていうとむしろ人付き合いは苦手だし、話下手のほうなんだよね。
雑談とか全然続かないし、人と話すとあとでどっと疲れるし。
だけどたくさんの人間と話してたら例外的に波長の合う人間も
何パーセントかはいるってことなんだよ。
つまりこれは統計学の問題でね。これがコミュニケーションの普遍的な壁なんだよ実際。
目の前の、他に替え難い誰かとのコミュニケーションを成功させようとして
うまくいかないことに苦しむわけだよ殆どの人は。
だけどそんなのどんどんスルーして、次の相手に向かえばいいんだよね。
努力は、特定他者に向けてではなくて、全体の成功確率を上げるために行う。
そうしないと煮詰まっちゃうよね。特定他者とのコミュニケーションなんて、
どれだけ頑張っても成功しないことはあるよそりゃ。


まあそうはいっても、実際替え難いんだよな。人間て。
それだと不便だからどんどん入れ替え可能な方向に持って行こうとしているのが
現在のコミュニケーション関連テクノロジーであり、雇用形態の変化であり。
で、不安になった人々を底引き網のように救うために大きな統合シンボルを
人工的につくりだそうとしているわけだよね。
そうまでして社会を生きたいか?ってことだよ。


海外旅行をさんざんしまくったあとに社会の外にはもう何も無いって絶望から、
今度は自分の内側の謎に向かうようになったんだよね。
でも、内側を開けてみれば結局社会からラベリングされた
消費傾向やら「趣味」やらキャラクターやら精神分析の症例やらが
うじゃうじゃ収まっているだけで、
そこにも何ら新しいものは無かったっていう残酷な結末が待ち受けていてさ。
もう、絶望のネタさえなくなっちゃったよ、ってことなんだよ。



暇だったんだよ。だからついつい英会話教室の勧誘なんかにひっかかって、
のこのこ説明まで聞きに行って。
なにやら有名な研究者の言語習得理論がなんとか、って話を始めるから、
こっちも適当に、なんとなくアカデミックっぽく相づちを打っていたら、
突然「あの、友達になってくれませんか」って言われた。
ああでもあの子は今目標を叶えて充実した人生を送ってるんだろうなきっと。
そういう子だったよ。よかったね。


でさ、いくら演劇のレッスンだからって言って、
さすがに相手の顔をべたべた触るのは憚られたけど、
まああんまりぎこちないのも却って意識してるのがバレバレみたいになっちゃうから
平静を装ったんだよね。
でも面白いね。人間の顔って。こうやって触ってみるといろんなことがわかる。
なんか温かい気持ちになる。
みんな真剣だったな。プロ目指してるから当然か。単なる趣味で参加したのは僕ぐらいで。
どうしてるかな?元気かな?でも顔も名前も殆ど覚えてないや。
ああでも自分も今、演劇やってるようなもんだけどさ。