最近の色々な経験について振り返ったり、

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061018

を読んだりするにつけ、つくづく思う。

これからの社会に本当に必要な学問。

  1. 矢面学
    • 何かの分野で矢面に立つと世間の期待が集中し、応えられないと一転ものすごい批判に遭う。トラブルに巻き込まれるとマスメディアの集中砲火を浴び、匿名メディアで罵倒され、警察に目をつけられ、訴訟を起こされ、社会的に抹殺される。このままでは矢面に立って何かを成し遂げようとしている人がいっせいに舞台から退却してしまう危険性がある。リスク分散もいいが、個人や組織が矢面に立つことで成し遂げられる価値もある。それが社会から失われてしまってよいのか。「持続可能な矢面への立ち方」を研究し、社会のために矢面に立つ人々を支援する学問が必要だ。
  2. 批判学
    • 正義や善意による批判が、場合によっては誠実なプレーヤーの舞台からの撤退、権力の過度の介入、拙速な法制度の整備、社会的怨念の蓄積という結果をもたらすことがある。生活者の素朴なクレームの集積が、多様でクリエイティブな小規模ビジネスを駆逐し、状況をコントロールできるリソースを十分に持った大資本の寡占を招く一方で、状況をコントロールできない分野をビジネス不毛の地とすることもある。良かれと思ってした批判が最悪の結果を招かないように、批判をする側にも「その批判が結果として何をもたらすのか」という洞察が必要。未来につながる賢い批判の知恵を身につけるための、批判学。
  3. 板挟み学
    • 複雑な社会では、磐石な位置に立って仕事をすることより、多様なステークホルダーの仲介的役割が増えてくる。それぞれの価値観に優劣はつけがたく、いずれも一理ある。板挟みはいたるところにある。これまではその責をすべて個々人が負い、時には負いかねて潰れ、経験は共有されてこなかった。板挟みを効果的にマネージメントする知恵の共有は、多くの人々を幸福にするだろう。
  4. 個人被害学
    • 複雑で不透明な社会ではまた、個人が予想外の被害に遭遇する。被害の形は、その状況を必ずしも他者が想像し、共感できないほど多様化している。社会の中で一定ボリュームの集団を形成し得ず、効果的な救済の考え方やしくみが発達しにくいので、結果泣き寝入りとなる。個別の被害の状況に応じてカスタマイズ可能な、個人被害からのサバイバルの方法論が必要だ。